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まあるい私を思い出すための本 6



図書館の子供の本のコーナーでふと偶然みつけた本。
(当然・・・カジュが目を向けさせたものでしょうが…(笑))

哲学の本だけあって「死」から、「存在の意味」まで、根本的な話が多く、子供向けだからこそ、それを解りやすく書いてくださっているので、興味深かったです。

いろいろ面白いテーマが目白おしてましたが、一番印象に残っているのは・・・

どんな行動や感情に駆られていても、「馬鹿なことをしている」とか判断したり、恥じたり、後悔したりする自分がいるという話。

「怒っている私」を「ああ、やっちゃった~しまった怒っちゃった~」と認識しているもう一つの視点が存在しませんか?

誰でも必ず、「その状態をみている私」が存在するんです。

ということは、私は感情そのものではないですね!?

他にも「私ってこうゆう性格なのよね」と自分を認識している私が、別に存在していませんか?!

ということは、私は「こうゆう性格(アイデンティティ)」そのものでもないですよね?

『んじゃ~「そう考えてる私」って何なんだ~?』(この台詞すごく哲学的v)

「そう考えている私」を表す言葉は、「理性」と呼ばれてきました。

「理性」をネットで調べてみると・・・

「物事を正しく判断する力。また、真と偽、善と悪を識別する能力。
美と醜を識別する働きさえも理性に帰せられることがある。
それだけが人間を人間たらしめ、動物から分かつところのものであり、ここに「人間は理性的動物である」という人間に関する古典的定義が成立する。」

この「理性」はキリスト教の伝説の中で表される「理性」と同じですね。
エデンの園にいたアダムとイブにサタン(悪魔)が「善悪の知恵の実(理性)」をあたえ、食べさせたって話がありますでしょう?

悪魔さんが、二元論(良い悪いとう考え方)を与え、人類は永遠に平和なエデンの園に戻れなくなった~という話。(ほんま「二元論」なんか教えて欲しく無かったなあ。それのどこが知恵の実なんだか・・・幻想を作る意地悪な実じゃんか~さすがサタンというべきか!?(=v=;)

この「理性」の部分は、私の話の中では・・・
「社会通念中心の思考」や「エゴ」表記
となります。

ところが、さらに「理性」の説明を読んでいくと・・・

「デカルトは、万人に生まれつき平等に備わっている理性能力を「良識」あるいは「自然の光」ということばで表している。古来、理性は闇(やみ)を照らす明るい光として表象されてきた。理性によって宇宙における諸事象をある比例的・調和的関係において眺め渡すとき、暗い、見通しのきかない混沌(こんとん)(カオスchaos)のなかから、ある法則的関係のなかに定位された調和的宇宙(コスモスcosmos)が出現する。」とも書いてある。

今までの私の記事の中で、冷静で、判断せず、今どの部分に意識を向けるかを決をめているスポットライト(光)が、「意識(意思)の光」だと言ってきました。それは、上記文章の「理性」に似ていますね。

意識の光

スピリチャルの世界では、3次元である肉体を感じる部分以外に、肉体でない、4次元~もっと上の次元部分が同時に存在しているというのが常識になってきました。

いわゆるみんなハイヤーセルフ(高次自己)を持っているという話です。

まあ二年前の私は、そんな実感はまったくなかったんですが・・・インナーセルフのカジュに出会い、毎日付き合っていくにつれ、その高次感覚を、ちらちらと垣間見たり、触れることになりました。

日常で、高次元の文化を持つ友達が出来たと考えてみてください・・。
その友達の新しい常識(?)や感覚にカルチャーショックを受けるんです!
(『ええ?!そこでなんでそんな反応になるの?!』という感じ、笑)

ただ、インナーセルフのカジュやハイヤーセルフのアヴァさんは他人ではありません・・・自分自身です。
(合体感覚があるわけでないので、その実感はまだありません・・・お友達感覚なの~(笑))

ハイヤーセルフやインナーセルフ達は、なんの幻想にも囚われていませんし、二元論の視点も持たずに、私達を愛し、見ています。

一切の個人的感情(過去の記憶の思い込み)や判断(二元論)を持たない冷静で明晰な視点です。

3次元にどっぷりから一歩離れる視点

この本は、ただ冷静に観察する視点を持つことで(この著者は「考える」という言葉で表現しておられます)今まで囚われてきた「私はこうだという思い(想念・観念)」から離れ・・・

3次元に生きる私たちの顕在意識にも、ハイヤー達が持つような、自分を少し離れて見守る機能がある。ということを、思い出させてくれました。

チョプラ氏や石原 加受子さんが言っていた「共感力」を使う時や、津留さんが推奨する「想念の観察」をする時、必ず存在する冷静な自分「意識(意思)」がいることを、この本を読んでやっとイメージ出来ました。

昔読んだ、シャーリーマクレーンの、スピリチュアル本のどれかで・・・
(三冊読みましたが、もう本が残っていないので何冊目か忘れてしまいました~読んだの10代だも~ん(^^;)

3次元で生きている私達は、全員が自分で脚本を描いた人生を演じているだけの・・・俳優であるという話が書いてあったことを思い出します。

ハイヤーがシナリオを書き、総監督を担当、助監督のインナーセルフは、コマコマした小道具探しや演出のために忙しく働いている。(笑)
肉体存在の私は、大舞台でアドリブを交えながらも見事に演じ切っている稀代の大俳優!
私の最大のファンであり、応援や賞賛喝采を私に浴びせる観客も、ハイヤーとインナーというわけ。

(でも不幸で最悪の気分の時は、「ハイヤーやインナーはナゼそんな冷たい反応なの?!現在苦しんでいるのに!!」という気持ちが湧きますね?(笑)

彼らにしてみれば・・・映画館で3D映画を見ている時、演じている俳優に・・・「ああ、痛かろう苦しかろう早く助けに行かなくちゃ!!」とか思わないのと同じことなのだそうです。

「それ全部、ま~ぼ~ろ~し~~だし、俳優(私達)は本当には死なないし、本当には傷つかないもん」、だから安心して観ていられる・・・「なんというドラマッチクで素晴らしい展開だ、迫真の演技だ!(パチパチパチ)」=v=:
今の私には、まだその感覚はよう解りましぇん(苦笑))

私達は、たくさんの幻想(社会通念、二元論を基にした判断など)に取り巻かれて生きています。
「それが唯ひとつの現実で、真実だ」と完全に信じきっています。
「神の力」を持つ私達が心底信じているので、その観念達は今も現実に現象化しつづけます。

その幻想がもたらす「感情の嵐」や「不安や心配をグルグルした思考で苦しむ」自分を見つけ、目をそむけず共に居ることにより・・・

今の自分を全面的に受け入れ、冷静に愛し、見守るハイヤーやインナー寄りの視点に、少し移動が出来るのです。

そうすると、自分自身が今悩み苦しんでいるものは、自分そのものではないということに、ゆっくりと気が付いていけます。

自分の役を演じることに、完全にハマリ込んでいる視点から一歩下がって観察することにより・・・

やっと・・・

「自分がこの世界の全てを作っている」

「他人は一人も居ない全部自分が作った3Dの幻想」

「私は何をしても良い、全ての自由が許される存在」などなど・・

新しい観念を受け入れ始める土壌(地盤)ができ、その先に進める気がします。

確かに役に完全にハマッていると・・・・役自体を「私そのもの」だと思っていたら
どんなにジタバタしても、キャラクターを変えたり、その役から抜け出せませんもんね!(笑)



蛇足:「スピリチュアルは許容できない(証明されないので納得出来ない)」けど、「哲学なら許せる」という友人がいますが、追求していくと同じところに到達しちゃうんだろうなって感じがしました。

『量子物理学の本では、すでにスピリチュアルと同じ、「この肉体は3Dの幻想(ホログラム)」だという領域に到達しちゃってるよ~』とか親が話してたです。

(量子物理学の本は、私はどうも読む気になりません・・・どうしてもイメージが付いていかず、途中で集中できなくなるんです・・・。(苦笑))

この今回ご紹介した本は哲学だから、結論をつけるより、世界の不思議について、考えて、考えて、考えることに価値があるって感じです。

あんまり考え過ぎて疲れるようでしたら、先にご紹介した津留さんや石原 加受子さんの本でも「考えるより感じることが大事」と書いてあったように、いったん本を閉じて休んでくださいませ。
(私は、途中ちょっとだけそうなりました・・・考え酔い。(笑))(^v^;




P.S momoさま、拍手コメントありがとうございます。

やりたくないことをする、義務的な仕事って、いっぱいありますね。
いつかは、やりたいことでも、今は気が進まない・・・っていうこともありますしね。

私もそれをしなくて、自分を責める時がいっぱいあります。
責める気持ちがやってきたら、感情への「共感力」を使い、出来たら「責める自分」を浄化してださいね。

どうしても気が進まない、でもやらなくちゃいけない時に・・・
ものすごくテンションが上がらないので困って
アヴァさんに相談したら、とんでもないアドバイスを貰いました

『なんでも遊び半分にやる!』

ちーん(0ワ0;;;


(「超イイカゲンな人間に思われる!!」と、とっさにエゴがビビッたのは言うまでもありません(笑))

どうも・・・アヴァさんの言う意味は・・・

『義務的なことも行う時、「楽しみ」を取り入れたら、ちょっとは快適なんじゃない?』という感じでした。

どんな時も楽しむ工夫を・・・それが自分に愛情を注ぐことになるというのでしょう!


私の場合・・・お気に入りのアニメを流しながらとか、アニメBGMを聴きながらやりました。

お花が好きな人は、お花飾ったり、アロマ香らせたり

動物が好きな人は、スグ見えるところに動物の写真を飾るとか・・・

インナーチャイルド(活力)がウキウキする(活性化)ことを、周りに取り入れる工夫なんでしょうね。

でも、本気でインナーチャイルドが、疲れ切っている場合は、それはもう効きません・・・。
責めずに十分に、ごろごろ寝かせてあげてくださいね。

自分を愛し、いたわることは、周りの人間も愛しいたわることです。

(自分の感情無視人間だった私は、自分が疲れてることに気が付かず、イライラして家族に八つ当たりしてしまい、よく失敗します。(^^;>
「・・・私は誰かを幸福には出来ません、(他人は居ないんで)私の幸福にだけ責任を持ちます」とエゴに、言い聞かせています。)

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comment

ミミ
このシリーズ、分かりやすくて参考になりますです。

私はスピリチュアルに興味があるくせに、なんとなく精神世界系の本は敬遠する(怪しそうというすりこみがあるんです^^;)ので、手をつきかねていました。

リコさんの記事で、もう少しこういった書物に対しても心を開いて(笑)読んでみても良いのかも?
と、興味を持ちました〜^^
2013.05.31 17:44
Riko
ミミさま、コメントありがとうございます。

分りやすくて参考になるとおっしゃって頂けてありがたいです&嬉しいです!
(めっちゃ長文だし・・・読むの大変じゃないかって、いつも心配で・・・。^v^;)

私はこんなスピ関係のお仕事をさせて頂いていますが、今もかなりの実質主義者です。

その上、さして文章好きでは無いので、今生きていくために必要な、実質的かつ日常的に使える情報が載ってないスピ本は、ほとんど読みません。

スピ本の中には、超能力~、前世~ 古代文明だアトランティス伝説だ~、宇宙人ががどーしたこーした~というのも含まれますしね~(笑)

漫画のネタにもなるし10代はそれはそれで面白かったんですが・・・だんだん子供心がなくなり、そも辺りには飽きちゃって・・・。

高次の存在のチャネリングの本とか読んでも「それの何が現実の役に立つのよ!!」みたいな怒りを覚えたりして・・・スピ本から離れました。

その中には良い本もいっぱいありましたが・・・私がその情報を現実で活用出来るレベルではなかったんですね。文字が読めても、内容が断片くらいしか入らない・・・それで、使えない~~ってっ!(笑)

自分が興味が向いて、読んでいて面白いなと感じたり、快くす~って入ってくるまで、どんな本も読まなくてもいいかなって思います。

それが、各自のインナーセルフ達が「今読むといいよ~」ってよこすタイミングですv
2013.05.31 18:46
-
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013.05.31 23:25
Riko
ミミさま、お返事ありがとうございます!
これからも、実質的なスピリチュアル目線(うわすごい矛盾(笑))で、記事を書いていくと思いますので、よろしくお願いしますね。(^ワ^/
2013.06.01 21:42

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